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◇◆ コラム ◆◇

001: 「自分が現実を創ってる」って壮大な勘違い?

2012年1月の、東京でのトークライブでは、

わたしたちはこれまで、たくさんの成功や幸せの教え、
ノウハウ、メソッドを学んできたけれど、
なぜやってもやっても、【一時的】な「喜び」や「安心」と、

その後やってくる「不満足感」や「不安」という【繰り返し】が、
終わることなく続いてきたのか?

ってことについて話させていただきました。


実はわたしたちが
【教えられてきたそれら教え自体が、ずれていたのかもしれない】
ってことに、ある時ハッと思い当たります。


今回のテーマは、これまでわたしたちのほとんどが、
気づかないことさえ、気づかずにきたことで、
一喜一憂の【繰り返し】から抜け出られずに来た、

その【核心】についてお伝えさせていただきます。


きっと「そっか!そんなものに、
もともととらわれなくてよかったんだ!」って、
気づきの機会になるかと思います。

どうぞ、この【核心】のテーマ、楽しんでくださいね。

先日、「アレクサンドリア」という映画のDVDを観ました。


主人公ヒュパティアは、古代エジプトの数学者、
天文学者、哲学者です。

彼女はその聡明さと、才能、謙虚さ、雄弁さ、美しさから、
多くの生徒たちに慕われていました。

が、この時代、キリスト教が蔓延し、
異教徒への強烈な弾圧が広がっていく中で、
ヒパティアは、魔女と目されるようになり、

最後はキュリロス派の狂信的な信者たちに捕えられ、
惨殺されてしまいます。


この事件がきっかけとなり、多数の学者たちは亡命、
ピタゴラスの時代から続いてきた、数学、科学、哲学の時代が
終焉を迎えてしまったというお話です。

ヒュパティアの名前は、
中学生の頃から耳にして知っていましたので、
興味があり、今回映画を観るに至ったのですが、

描かれているのは、凄惨な時代の移り変わりの描写ですので、
ご覧になられる方は、その点はご注意ください。
(凄惨さにちょっと凹むかも(汗))

さて、なぜこの映画のお話をさせていただいたかですが、
この映画で描かれているように、
そして多くの方が知っておられるように、

イエスのおしえは、後の人たちの自我(エゴ)の思考により、
ゆがんで解釈されるようになっていきました。


で、間違った解釈が教えとして広まり、
それがもとで、魔女狩りをはじめ、多くの人たちが
苦しむきっかけとなっていったのは、周知の通りです。

さて、この歴史、映画から、とても重要なある気づきにいたります。

それは、わたしたちが学んできた、成功や幸せの教えも、
もしかしたら、本来の形から、思考により、間違って解釈され、

それが広まってしまっていたのかもしれないということです。


で、「一喜一憂の繰り返し」だったのは、
実はそもそも、間違った解釈に、これまでわたしたちが気づかず、
続けていたために続いていたのではないか?って。

さて、ここからが重要なポイントです。

わたしたちが成功や幸せの教えを学んでいく中で、

【あなたの人生の現実は、あなたが創り出している】

というものに出会いますよね。


成功や幸せの教えを学ぶうち、必ずどこかで出会い、
耳にする、必然として出会う教えです。

で、わたしたちはこの教えを知り、
「望まない現実が起こることは、自分が原因なんだ(自分が悪いんだ)」や、

「望んだ現実が起こらないのは、自分が原因(自分が悪いんだ)」
と解釈してきました。

で、なんとか現実を理想的なものに変えたかったわたしたちは、
この、現実を創ってきた「わたし」を変えようとしはじめます。


で、「行動」を変えようとしはじめたり、

習慣が現実を創ると聞くと「習慣」を変えようと努力をはじめ、

それらを変えるためにセルフイメージを上げようとしたり、

セルフイメージを上げるためにアファーメーションしたり、

壁に「わたしはできる」って貼ってみたり、

イメージングのトレーニングをしてみたり、

潜在意識下のブロックが現実を難しくしてきたと知ると、

今度は潜在意識のブロックの解消、書き換えを、一生懸命やってきたり、

瞑想をやってみたり、

わたしたちは本当にたくさんのことを、
本当にいっぱいいっぱい「※やってきた」んですよね。

(※すべてに共通するのは、
なにかを【やること】ばかりだってことに
お気づきになるかと思います。
実は「やること」の中に悟り、目覚めはなかったって
経験から気づかされました)


が、何年も、何十年もやってきても、
でも、一喜一憂の【繰り返し】という苦しみ、
「去年と同じような今年の繰り返し」からは、
抜け出れずにきました。


ワケ知り顔な人はわたしたちに、
「人生はそんなものだ」といってきましたが、

わたしたちは、「これまでいっぱい努力してきたんだ!
もうそろそろホントに、幸せになたっていいはずだ!」、


「これこそがホントに望んでいたゴールだって、
こころから、平和な満足に満たされたい」って、
多くの人が、こころから望むようになってきました。

わたしもなづなちゃんも、ホントにそんな一人だったんですね。

さて、ここで原点に舞い戻ります。

なぜこれまで、この【繰り返し】から抜け出れなかったのか?

もしかして、かつてイエスの教えが間違って解釈され、
それが広まってしまったように、


成功や幸せの教えも、実はどこかで間違って解釈され、
それが広まってしまっているのではないか?


わたしたちが学び、教えられてきた、
「わたしが、この現実を創っている」っておしえ。


これも実は、どこかで間違って解釈され、
それが間違ったまま広まってしまっていたのではないか?って。


悟り、目覚めの体験が起こって、
経験から真実が理解できるようになってきたとき、

実はこの教え、根本がずれていた、


というか、肝心な部分が伝えられていなかったってことに、
気がつくに至りました。

「わたしがこの現実を創っている」と耳にすると、
わたしという「個人」、

わたしの場合だったら、濱田浩朱という「個人」が、
現実を創り出しているって聴こえていました。

で、なんとか現実を変えたくて、ありとあらゆることを「やって」、
「うまくいかない」って苦しんできたんですね。

が、目覚めが起こって、本質が見えたとき、
「そんなの、うまくいかないの、当たり前やったやん!」って、
気がつくに至ったんですね。

実は、この「わたし」というもの自体が、
間違って解釈されていたんですね。

この「わたしが、この現実を創り出してる」の
「わたし」とは、本当はなんだったのか?


わたし=わたしという特定の「個人」のことなどでは、
まったくなかったってことに気づいたんですね。

この「わたし」の真実ってなんだったかというと、本当の自己、
(空(くう)とか真我と呼ばれてきたもの)


すべてが生まれては消えていく、【源】そのもののことを
あらわしていたんです。

そして、「経験から気づくべき、もっとも重要なポイント」は、


起こっている、経験している現実という「現象」も、

それをどう解釈するかという「思考」も、

怒りや悲しみや、喜びなどの「感情」も、

突然湧いてくる、「インスピレーション」、「閃き」も、

「知識」も「学説」も「学問」も、

「行動」自体も、そして「わたし」という概念も、

「人生そのもの」も、「わたし」自体も、

現実を創り出すといわれていた「観念」も、

それらを含む、「世界そのもの、宇宙そのもの」も、

その【源から生まれ消えていく、森羅万象という現象だった】ってことです。

つまり、経験する、あらゆる森羅万象のすべては、
本当の自己である、【源】の上で起こっていたことだったんですね。

で、わたしたちの人生もまた、源の上で起こっている、
森羅万象そのものだったわけです。

つまり、「わたしがこの人生を創り出している」という教えは、
「わたしという特定の個人」が創り出しているということではなく、


わたし=わたしたちの本性、本来の自己である、
【源】のことだったんじゃん!って気づいたんですね。


実は「わたし」という、世界から切り離された、
特定の個人が現実を創っているという解釈が
そもそも悲劇のはじまりだったというわけです。


実はとんでもない勘違い(>_<)だったんですね。


勘違いだったらしいってことは、なんとなくわかったけど、

じゃあ、こんなことがわかったらどうなるの?
って思われる方も、いらっしゃるかもしれません。


これは、わたしやなづなちゃん、わたしの友人たちが、
経験している経験談ですが、


自らの本性がすべての【源】なんだって、
【知識ではなく、ホントにそうだったんだって、
経験から自然と理解が起こった時(←これが最も重要)】、

まったく人生は変わりはじめました。


それまでは気づかなかったけれど
【恐れが土台、人生の原動力】だったものが、

その土台そのものが絶対的な【平和に、
入れ替わってしまったんですね。


その結果、「なにがあっても大丈夫」というゆるぎない確信のもとに、
人生を思い切り、「楽しむ」ように、いつの間にか変わっていました。


あるわたしの大好きな映画の台詞に、

「その日を境に、世界はまるで開き直ったかのように、
その装いを変えてしまったのだ」

というものがあるのですが、まさにそんな経験です。

本当の自己の本性への気づきが確立された時、
世界、日常は同じなんだけど、
まったくその現れ方は、変わりはじめました。

「わたしがこの現実を創り出している」という教えは、
どこかで思考により、間違って解釈され、
それが伝言ゲームのように広まってきました。

が、目覚めの体験が起こりはじめると、

「この世界は、思い込んでいたようなものとはまったく違う、
豊かさが自然に創造される世界」という喜びの人生へと、
パラダイムシフトが起こりはじめます。


が、これまでは目覚め、悟りの体験をする人ってのは、
本当に、人類のごく一部の人たちだけで、
稀にしか起きないものと、言われてきました。

が、先日、古い友人たちと飲んでいて、
なぜ稀にしか起きなかったのか、そのあまりにもシンプルな理由に
気づいてこなかったってことを、体験から理解が起こりました。


なんだ!こんなシンプルなことに、これまでわたしを含めて、
みんな気づいていなったんだ!って。


だから、経験する人は稀だったんだ!って。


2011年に入ってから、何人もの、目覚めを経験し、
人生が変わり始めた人たちと、出会わせていただきましたし、
目覚めていく場に居合わせていただきました。


そして、これから、本当にたくさんの人がが目覚め、
人生が変容するのを、目撃していくんだなって、確信を感じています。


本当に時代が変わりはじめたんですね。

 

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