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◇◆ コラム ◆◇

008: 全人類が持っていた痛みの根っこ


ある時、「そうか!これがわたしたち人間が全員共通して持っていた、
痛みの根っこ、ダークサイドの根っこだったんだ!」って、
発見する、驚きの体験がありました。

今回はそのシェアをさせていただきますね。


誰にでも苦手な人はいるものと思いますが、
わたしにも感情的に苦手な人がいました。

ことあるごとにカチンとくるが起こってしまう人だったのですが、
なにがカチンとくるのか、なかなかわからずにいました。


で、カチンとくると、カチンって感情が暴れてしまって、
とにかく腹が立つ〜!とか、イライラする〜!って思いにかられて、
出てくる判断はせいぜい「カチンとくるならみなきゃいいじゃん!」
「そんな人なんだから、しょうがないだろ」ってもの。


で、なんとか自分に言い聞かせようとするのですが、
でも、カチンやイライラが起こってくるのは変わりませんから、
ついつい思い出しちゃったら、またイライラします。


思い出さないようにしようってしても、
それは結局我慢でしかないし、みないようにしようとしても、
それもまた我慢でしかないし、我慢していることもストレスになります。


で、もういいかげん、イライラすることから解放されたい!
って心底思うようになっていったんですね。

で、この世界に起こってくることって、内面の観念が
映し出されたものといわれてきましたから、
じゃあどんな観念が映し出されてるんだ!?って、みてみるんだけど、

その人のイライラするところ、
たとえば頑固にみえるところ、無神経に見えるところをみていると、
「俺も、こんなに頑固で無神経ってこと!?」って、

【いい、悪いって判断】って部分しか見えてこない。


で、ホントはその人にイライラしてるんじゃなくて、
その人を通して、自分の話しに耳を貸さない、
頑固にみえた母親をみているんだとも思うのですが、
(こころの学びをしていると、こんな【考え】も出ますよね)
イライラは収まらない。


「鏡として見る」っていうと、
あなたもこんな経験されたことがあるかと思います。


ところが、「そういう人なんだ」って片付けるんじゃなくて、
(片付けようにも、イライラは変わんないですから(苦笑))
ホントっにイライラから解放されたい!って心底思ったある瞬間、
ある閃きが起こってきました。


「ちょっと待て....本当に映し出しているのはなに?」って。


そうしたら、その人の表面的な行動や仕草、言動ではなく、
その人自身も気づいていないことさえ気づいていない、
根源的にその人が、その人の中で許せないことってなんだろう?
ってみはじめたんですね。


その人自身が、その人自身をどうしても許せないこと、
それが映し出されてるとしたら?ってみてみたんです。


そうしたら、その人が感じているであろう自分自身に対して
抱いている怒りの対象がみえてきました。


それは、「自分はなんのために生きているんだ?」

「自分は誰の役にも、
世の中のなんの役にも立ってないんじゃないか?」

「自分は誰のためにも、世の中のなんの役にも立ってないのに、
なんで生きているんだ?」って。


その人がどうしても許せなかったもの、
それは、「自分が誰のためにも、社会の何の役にも立っていない
そんな自分は、存在を許されない」ってものなんだったんです。

が、その人が本当に感じていたのは怒りではなく、
「誰の役にも立っていない」って悲しみだったんですね。

それに気づいた瞬間、

「そうか、僕自身が、誰かの役に立たないと、
存在している価値がない、存在してはいけないって、
自分自身に対して思っていたんだ」、

「それが映し出されていたんだ」って、
気づきが起こってきたんですね。


そうしたら、深い気づきとともに、
ずっとずっと凍っていた氷が静かに、
なにかが優しく解けていくのを感じました。

かつてメンターが「人は生まれてきて、親同士の喧嘩や、
お金をきっかけにした言い争いなどをみて、
この世界は不幸せなところって、信じ込んでしまう」、

「そして、人の役たたなければならない、
でなければ存在してはいけない」って思うようなる
と話していたことを思い出しました。


そう、「自分は何のために存在しているのか?」

「なんのために生まれてきたのか?」

「自分は生まれてきてよかったのか?」


じゃあ、うまれてきてよかったんだって思えるには?


【誰かの、なにかの役に立ったなら、存在を認められる、
許される】って、わたしたちは根源的に思い込んできました。


「そうか、こんなことずっと信じてきたのか」って気づきが起こってきたとき、
ずっとずっと凍っていた胸の辺りの氷が、あたたかく氷解していくのを
感じました。


そうか、これが内面の葛藤の根っこだったのかって、
気づきが起こった瞬間でした。

この気づきは、なにかを根本的に終わらせ、
なにかを根本的に変えてしまいました。


そして、その瞬間までイライラの対象でしかなかったその人が、
その瞬間から感謝の対象に変わっていました。


よかったら、「誰かの、なにかの役に立たなければ、
いけない」って思ってきたのかな?って振り返ってみてみてください。


もしかしたら、静かに統合が起こり、
在ること自体が喜びだと、真に深いレベルで感じ始めるかもしれませんヨ。

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