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◇◆ コラム ◆◇

023: 「在る」を生きることと、知っていることは全く違う

自我(エゴ)、マインドが落ちてしまったある夜のこと、


「うわっ!今まで気にしていたこと、恐れていたこと、
とらわれてきたことって、なにからなにまで、
みんなみんな観念だったんじゃないか!」って気がついて、

で、ストーンと、腹の底まで腑に落ちて、

もうホントに拍子抜けしてしまうとともに、

もうホントに笑うほかありませんでした。

と同時に、「かつては、ホントに【観念】にとらわれ、
【観念】の話ばかりしていたんだなぁ」って、

ある意味、思い知らされるかのように(笑)、気づかされます。


そして実際、ホントに、ほーんとに、わたしたちのほとんどが、
日常、人生の貴重なほとんどの時間を、観念について語り、
観念についてやり取りし、


今、目の前にあるおいしい料理を、ホントには、楽しんでなかったり、
繊細なおいしさに気づかずにいたり、


すっごく気持ちいい風の心地よさや、
道端のかわいらしい花の美しさや、
夕焼けの美しさを感じたり、

時に魂を震わされるような、美しい景色が目の前にあるのに、
それらを実際に感じ、体験、経験することとは、ぜーんぜん関係ない、


お金のこと、
今この場にいない誰かのこと、なにかのこと、
今じゃない、いつかのこと、

パートナーシップとか、ツインソウルとか、引き寄せとか、

ホントに、観念のやり取りばかりをしていたんだなぁって、
すごく実感します。


また、


「それは、なにかのブロックじゃないの?」なんて、
人に頼まれてもいないおせっかいをしたりだとか(爆)、


とっても気にしていた、前世も、輪廻や、いわゆるワンネスさえも(驚)!

そして、ただ「在る」ということさえも、実際にそれを生きるのではなく、

観念としてとらえ、観念を語り、それでマインドを満足させようと
してばかり(じゃないときも勿論ありましたが(笑))
してたなぁって、気づかされます(超爆)。

今になって、かつての「わたし」を振り返ってみて、
周りを見回してみて、書店の本棚の多くを見てみて、


「無」や「空」、「真我」と呼ばれてきたものに、
触れたことがあったとしても、
(↑これは、ホントに貴重な、
 素晴らしい経験であることは間違いないですが)


「在る」を知っていることと、【在るを実際に生きること】は、
ホントに全く違うことなんだなって、

ホントに、ホントに、すんごく実感するようになって来ました。


以前はただただ、無自覚でしたが、

将来に不安を感じなくてよくするため、
(↑これも、観念そのものですよね)
有名になることだとか、ビジネスを拡大することばかりに、
(でもそのことは気づかなかった)
ただただしゃかりきに、やっきになったりも、したりもしましたが、

今、なづなちゃんにわたしがよく話して笑われるのは、

「子供のころ、思い切り遊ばなかったから、今思い切り遊ぶ!」って言葉。

そして、それを、観念なんかじゃなく、ホントに思い切り生きちゃう!って、
今はホントにそう思います。


楽しいことも、そうでないことも、起こってはきますが、

今ほど思い切り人生を、生き生きと生きているのは、
今が初めてのマスターですっ(笑)。

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