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◇◆ コラム ◆◇

024: 「想念」は、ビールの泡のよう

以前、飲んでる席で、ビールの泡を【想念】にたとえて話してたら、
「すっごいわかりやすい(驚)!」と言われたことがあるのを、
先ほどふと思い出し、書かせていただくことにしました。


※ただし、わたしが書いているからって、
 丸鵜呑みにはしないでくださいね(笑)。

 これはいつもセッションなどでも言っていることですが、
 ご自身が体験の中で、ホントにストーンと腑に落ち、
 ホントにあなたの生きた知恵になるときまでは、
 どうぞ、ただの圧縮ファイルとして、
 置いておいていただければと思います。

さて、想念とは、現れては消えていく、あらゆる思い、考えのことですが、


実はわたしたちは、「あ」って気がつくまで、
この想念に、人生を翻弄されまくり、振り回されまくってきたことに、
気がつかないことさえ、気づかずにいます。


そしてこの浮かんでは消えていく「想念」が、
真実だ!!!って思い込んでいることを、観念といえるかと思います。

さて、小難しい話は横において(笑)、

今、目の前に、グラスに入ったビールがあるとします。


黄金色に、澄んだビールの中を、無数の泡が現れてきますよね。


が、この泡たち、どこから現れてくるのでしょう?


そう、ビールそのものからですよね。


気がついたら現れ、浮かんではやがて消えていってしまう。


ビールそのものを本来の自己、「無」、「空」、「虚無」、
「真我」、「透明な闇」、「無限の空間」と呼ばれてきたものに、
仮に例えたとするなら、

ビールの泡の一粒一粒は、そこにひょっこり、
それも突然現れ、しばらくすると消えていってしまうもの、

これが想念です。

これら泡の一粒一粒は、どんなものかというと、

「どうしてこの人はわかってくれないんだろう(怒)!」、

「ああ、ついてないなぁ」、

「ツイてるって、言わなくちゃ」、

「腹筋、20回しなくちゃ」、

「なんでできないんだろう〜」、

「いつになったら、結婚できるのかなぁ」、

「わたしは特別だもんね!」、

「あの人は、わかってくれる」、

「人生の目的を見つけなくちゃっ」、

「わたしのワクワクってなんだろう?」、

「ああ、わたしには無理っ」、

「もっとがんばらなきゃダメよね」、

「あんたも、弱音なんか吐くじゃないよ!」、

「ああ、これも観念だ!ブロック解除しなくちゃ!」、

「大好きなことを仕事にしなくちゃ」、

「メルマガ、ブログを書かくては」、

「感謝しなくちゃダメだよ」、

「ポジティブに考えなくちゃ」、

「ネガティブなことを言っちゃダメ!」、

「言霊は大事なんだからね!」、

「悪い言葉使ったら、悪いことが帰ってくるゾっ!」

「パワースポットに行って、チャージしなくちゃ」、

「いったい、こんな状況いつまで続くの?」、

「〜であるべきだよな」、

「〜しなくちゃ!」、

「オーラの調整をしなくては」、

「天命を生きるべき」、

「このままじゃマズイ!」、

「守護霊様に守られてるんだから、大丈夫なはず」、

「悪い霊にとりつかれるヨ」、

「なんだ、あいつ!」、

「まったく、どいつもこいつも!」、

「高次の存在がこう言ってたから」、

「わたしたちには、人類を救う役割があるのだから!」、

「あの政治家あほだよな!」、

「コミットしなくっちゃ!」、

「モチベーションあげなくちゃ」、

「セルフイメージを上げるといいんだよな?」、

「パートナーシップが大事なの!」、

「高いなぁ、コレ!」、

「あそこの卵、安いからあそこまで行かなきゃ」、

「先祖供養しないとまずいよな」、

「やっぱり除霊しないといけないのかな」、

「どうしてわかってくれないの!」、

「あの人はいい人だよな」、

「あの人は親切だから、好き」、

「あいつ、いい顔してるけど、裏ではどうかわかんないぞ」、

「あ!早く帰らないと、ドラマはじまっちゃう!」、

「あいつに比べれば、俺はましだよな」、

「嫌われたらどうしよう」、

「くそうセックスしたいなぁ」、

「男なんて、不潔!」、

「女子力をもっと上げなくちゃ!」、

「ちょっと、一こと言ってやらなくちゃ!」、

「婚活しなくちゃ」、

「恋活してるのに」、

「あちゃぁ、また食べちゃったぁ」、

「わたしって、意志弱いなぁ」、

「おいしいもの食べなきゃね」、

「前世は、どこそこの誰々で」、

「そんなもの食べてたら、ダメだよ!」、

「うわぁ〜、ダセぇ、あいつ」、

「なに!?あの化粧!?」、

「電車の中で化粧するなよな!」、

「たばこの煙、ウザいんですけど!」、

「こんなところで、タバコ吸いやがって」、

「今日は黄色の車最初に見たからラッキーのはず」、

「今日はツイてないなぁ」、

「ああ、また雑念が出てきた!」、

「自我を滅しなくちゃ!」、

「悟りは遠いよな」、

「わたしは、無に触れたことあるから大丈夫」、

「どこにわたしを本当に導いてくれる師はいるの?」

「あの偉い人、すごい能力者が言ってたんだもの」、

「おやおや、困った人だねぇ」、

「あ、今、神の声がした」、

「これって、なんのメッセージ?」、

「これ、シンクロだよな」、

「金持ちっていけすかない」、

「あいつは負け組だよね」、

「そんな仕事で満足してるの?」、

「わたしは、違うけどね」、

「これがわかってる俺って、他のやつらと違うよね」、

「早起きしなくちゃ」、

「あなたも、この通りしなさいよ」、

「宇宙人っているんだゾ」、

「ピーマン嫌い〜」、

「いい香り〜」、

「バイクはあぶない」、

「あれは不良だよ」、

「今勉強しないと、将来大変だぞ!」、

「あんたのことを思って言ってるんだからね!」、

「罰が当たるよ!」、


などなどなど、

無限に出てくるもの、


これらすべてが、言ってみればビールの泡です。


※気づかれる方は、これら想念が直感とは
 全く違うものだということに気づかれるかと思います。

さて、これらを一通りみてみて気づくのは、現れてくる泡には、
一般的に、ポジティブと呼ばれるものや、ネガティブと呼ばれるもの、
どちらも両方入っていますよね。


そう、これら現れくる泡の一粒一粒は、本来、なんの意味もないんですよね。


これらは本来は、ただ現れてきた、
そしてしばらくしたらいつの間にか去っていってしまう思い、考えという、
ビールの泡に過ぎないんですね。


が、そこに「これはいい」、「こうあるべき」、「これはダメ!」って、
判断が介入してくる、これが観念と呼ばれるものだったんですね。

「じゃあ、その観念を解消したらいいだな」、

「書き換えちゃったら、いいんだな」って、以前はわたしも考えていました。

     ↑
が、これらもまた、ビールの泡なんですよね(超爆)。

そう、現れてくる思い、考え、
そしていつの間にか去っていく思い、考え、
これらすべては、ビールの泡のようなものだということを、

これまでわたしたちのほとんど全員が、気づかないことさえ、
気づかずにきたんですね。

で、自分にとっての心地よい思い、考えに執着し、

そうじゃない思い、考えを、別の考え方に変えたらいいと、
わたしたちのほぼ全員が、教えられ、そう信じてきたんですね。

    ↑
が、これ自体がそもそもすべて観念だったんですよね。

今、まるでブームのように、
悟りという言葉が独り歩きしている感がありますが、

悟りっていうと、どうも「特殊体験」、「神秘体験」、
「悟ったら救われる」みたいな部分ばかり話題になり、
もてはやされている感があります。

    ↑
が、これ自体が、もう既に観念なんですよね。

これら現れてくる想念は、そして観念は、
【人間である以上、必ず現れて】きます。

わたしたちは、これら想念という泡の一粒一粒を、

「この思いが」、「この観念が」、「このブロックが」、
無くなりさえすれば、解除されれば、滅せられれば、人生がよくなるはず!
自由になるはずと(↑これも観念ですよね)、

次々と、永遠に現れては消えていく想念という、実際には存在しない
幻想(わたしの師は、これを、実体のない幽霊と呼んでいました)
と格闘し続けていたんですね。

そして、わたしたちのほとんど全員が、このことに気づかないことさえ、
気づかずにきたんですね。


「あ」って、気がついてみたら、
決して終わることがないことを、いつか終わると思い込んで、
わたしたちのほとんど全員が、これをやり続けてきたんですね。


20世紀最大の賢者と呼ばれるラマナ・マハルシも、
「考えごとはいわば自然に湧き出てくるが、
それはやがて消えゆくためなのである」と言っています。


わたしたちって、座禅や瞑想などの中で、
また、なんらかのきっかけで、
思考、雑念が静かになる経験をすると、

今度は思考が現れて来た時、「雑念を滅しなくちゃ!」って、
考えはじめます。
    ↑
これも思考であり、想念なですよね(爆)。

悟りとは、「わたし」という自我意識が消え去り、
わたし=観察者が消え去ると同時に、
観察する対象も消え去る経験と言われています。


が、このことを、観念でいくらとらえても、
それは経験ではありませんし、なにも腑には落ちませんよね。


わたしたちが、圧縮ファイルとしてまず置いておくことは、
現れては消えいく、あらゆる思考、想念は、ビールの泡のように、

現れては消えていくものであるということ、

そして、悟りのひとつの顕われ(側面と言ってもいいかもしれません)は、
顕われては消えいくそれら想念という「泡」が、

観察するのではなく、
※観照(かんしょう)される(するのではなく)ことでしょう。


※かんしょう=分析することなく、ただ観ていること。


そしてそれは、これまで世の中で常識とされてきた、
(自我の)努力やがんばりでは、決して訪れることはないでしょう。


努力はしつつも、明け渡されたとき(それが起こる時)、
既にそうなっていることでしょう。


最後に、ラマナ・マハルシの言葉を紹介して終わりますね。


 「実にさまざまな考えごとが瞑想の中で起こってくる。

 それはそれでよい。
 あなたの中に隠れているものが出てくるのだから。

 考えごとが出てこないようであれば、
 それを打ち破ることもできないではないか。

 考えごとはいわば自然に湧き出てくるが、
 それはやがて消えゆくためなのである、
 心はそのようにして強くなる。」


〜静寂の瞬間 ラマナ・マハルシとともに〜より抜粋

どうか、既存の観念の引き出しにしまったりしないで、
自然な理解として、花開くまで、圧縮ファイルとして、
ただ置いておいてみてくださいね。

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