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◇◆ コラム ◆◇

026: なぜに悟りは困難と言われてきたのか?

多くの、「悟り」、「目覚め」というものがあると知った人たちが、
「悟り」、「目覚め」は素晴らしいと耳にし、
ある時それを求めはじめます。


また、「悟り」、「目覚め」という言葉が、
今のようにメジャーになる遥か以前から、
それを求め、禅や瞑想などの修業にはげみ、

目覚めへとガイドしてくれる覚者を求め、
世界中を旅してきたりしてきました。


が、それら多くの、悟り、目覚めを熱望する人たちの思いとは裏腹に、
「悟りは、ごく限られた者のもの」、

「そこに至るのは、大変困難なもの」ととらえられてきました。


それはいったいなぜだったのでしょう?


わたしとなづなちゃんが、
(導きという恩寵により)実際に体験が起こってみて、

また、目覚めを体験した友人たち、覚者たちと出会うようになって、
それには、大きく2つのポイントがあることがわかりました。

ひとつは、これまでも何度かお伝えさせていただいてきたことですが、
悟りを「神秘的な特殊体験」と、
いつの間にか思考で刷り込まれていることです。


悟ることはなにか、「超能力」や「神通力」、「予知能力が身につく」とか、
「光に満たされる体験」とか、「至高のエクスタシー」とか、

悟りや、目覚めは、そのような、なにか特殊な体験だと、
どこかで刷り込まれ、それを(無意識に)信じているために、

【今ここ】にある、「シンプルな真実」と、「在るがままの、その豊かさ」を
見逃していることに、気づけないことさえ、気づけないできたんですね。

なぜなら、思考と感情、つまり【マインド】は、
「今ではない、将来」、または「次の瞬間」に、
かつて素晴らしい奇跡のような体験が起こるはずと、


「今ここ」から、離れてしまうんですね。


が、悟り、目覚めは、「今ここ」にあります。


マインドは、あまりにも条件付けされすぎているために、
「(一般的には良い考えとされる)未来はよくなる」という強烈な信念から、

「今ここ」から、離れ続けていることに、
気づかないことさえ、気づかせないんですね。


そして、この「神秘的な体験」、「特殊な体験」というのも、
実は「思考」であり、刷り込まれたものだということに、
マインドは気づかせずにきたわけです。

「今」ではない「将来」、悟り、目覚めが起こるという思い込み。

そして(少し乱暴な表現かもしれませんが)、
「神秘的な体験がわたしを幸せにしてくれる」という、
幼稚な刷り込みが、
   ↑
(これは、わたし自身が陥った罠でした)


今この瞬間の奇跡を、永遠に遠ざけ続けてきたんですね。

もうひとつのポイント、それは、

思考と感情、
つまり【マインドが、悟り、目覚めを求め、探し続けてきた】ということです。

目覚めとは、ノーマインド、
つまり、思考から自由になった状態と言えます。

つまり、思考、それ自体が黙ることが、目覚めの入り口なのですが、

が、思考にはそんなこと、想像もつきませんから、
「どうやったら悟れるんだ?」、「いつ、目覚めるんだ?」って、
黙ることなく、永遠に、喋り続けるんですね。

わかりやすい例えをするなら、

【どうやったらお喋りが止むんだ!?って、お喋りをし続ける】

そんなとんでもない冗談のような状態が、
今ここに既にある、悟り、目覚めを、永遠に遠ざけ続けてきたんですすね。

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