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◇◆ コラム ◆◇

035: 意味から自由になる、その豊かさ

先日、自然に囲まれた場所で行われた、とあるクラスで、
その場にいた皆さんに、少し面白いことを体験してもらいました。


それは、風が肌に触れる感触や、緑の香り、
水のせせらぐ音などの体験に、

なんの意味も、解釈も、判断もつけずに、
ありのままそのままに体験してみるってものです。

つまり、風が頬に触れたとき、「気持ちいいなぁ」とか、
緑の香りが鼻に触れたとき、「いい香りだなぁ」などのように、

言葉にして、批評、判断するのではなく、
体験したことを、在りのままそのまま体験するってことを、
やってみてもらったんですね。


みなさん、それはそれは、新鮮な体験をされていました。


わたしたちは普段、ほとんど無意識に、体験したことを、
体験した瞬間、言葉に変換し、

「心地いい」とか、「心地悪い」とか、

「きれい」とか、「汚い」とか、

「好き」、「嫌い」、「いい」、「悪い」と、

ほぼ完全に自動的に、批評、判断するように、条件付けられています。

その結果、体験したことを、なんの意味も解釈もすることなく、

ただ、【在るがままを、在るがままに体験することの豊かさ】を、
まったく忘れてしまっていることも、忘れてしまってきました。

ちょっと、子供の頃のことを思い出してみてみます。


なにをするでもない、ただ、駆け回ったり、ただ水遊びしたり、
ただ、ぼーっと空の雲を眺めていただけなのに、

何故に、あんなにも、なにをしていても、夢中になっていたのでしょう?

わたしは、このような世界に入る以前から、
そのことが、とても不思議で仕方ありませんでした。


よく、周りの友人たちが、「昔はよかったなぁ、
なにをしていても、楽しかったのに、今は.....」なんて、
言っていたのを耳にしていましたが、

わたし自身も、よくそう思っていました。

そして、「大人の今、子供の頃の、あのなにをやっていていも、
夢中になれた、あの感覚を取り戻したい」と、思いはじめたのが、

よくよく思い出してみると、
このような世界に入ったきっかけだったことを思い出します。

体験することを、なんの言語にも変換することなく、
在るがまま体験するとき、

在るがままの豊かさを、実感する体験をします。

そして、ただ存在している、そのこと自体が、
実は、とても豊かなのだと、
知識や思考ではなく、体験の中で実感されます。

それは、ハラハラドキドキするような、
いわゆる高揚感とはちがった、在ることそのものの、豊かさです。

が、なにかを見たり、聞いたり、触れたりしたりした瞬間、
即座に、間髪入れることなく、思考により言語化された、

批評、判断が発生するよう条件付けされ、あまりに当たり前になりすぎた、
「わたし」には、それを体験することは、容易ではありませんでした。

どうやったら、思考が止まるのか、思考してしまっていたってことに、
気づかないことさえ、気づけずにいたんですね(笑)。


思考が、思考を止めようと、試行(思考)錯誤していたんです(笑)。

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