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◇◆ コラム ◆◇

048: 無私(無我)と我(自我(エゴ))

覚者たちは、「人の苦しみの根本原因は、

【自分】という、世界(宇宙)から切り離された、特定の「個」が存在するという、
思い込みからきている」と言います。

よーく文字をみてみると、気づきますが、
【自分】とは、読んで字の如し、「自ら分かれる」となっています。


そして、わたし(あえてわたしという言葉を使いますが)も、
気づいてみると、今はまったくその通りだと、ものすごく実感しています。


実際は、同じひとつの「それ(実存)」から顕れ出ている、
あらゆる(ひとつの)多様性なんだけど、

思考、マインドが、【わたし】、【自分】というものがいるという、
強烈な思い込み、錯覚を創り出し、


この【自分】という錯覚が、【自分以外の世界】、【自分以外の他人】があるって、
錯覚を生み出していたんですね。


この世界が、マーヤ(幻想)と言われるゆえんでもあります。


で、この錯覚が、「なにか足りない感」、「切り離された感」、
「孤独感」みたいなものを生み出す。


ところが、そんなこと、思考、マインドには、さっぱり見当もつかないから、
(当たり前ですよね、思考も「それ」から生まれてきてるんだから)


外の何か(お金とか、生きがいとか、パートナーとか、
はたまた、外面や※内面の問題解決とか)で、補おうとするんだけど、
      ↑
これも、「それ」から生まれ出てきている。


根本原因が違うんだから、なにを持ってきても、一時的な満足しか得られない。


実は、めちゃ当たり前のことだったんですね。


※わたしも以前、気づかなかったのは、内面の観念の解消なども
 「自分」からみた「対象」である以上、実際は内側のことではなく、
 「外」のことだったってことでした。

でも、そんなことは、思考、マインドには、さっぱりわかんない。


そして、ついこないだまでの「わたし」は、いくら覚者たちが、そう言ったとしても、


思考、マインドによる思い込み、暗示が、あまりに強烈過ぎて、
このことが、まったくわかりませんでした。

が、ふと気づいてみると、

これが錯覚なんだって、今、垣間見える機会があります。

「我(が)が強い」と言われる時は、
本人も、周りも、とてもしんどい思いをしますよね。

と同時に、「無私の奉仕」とか、「無私の行い」と呼ばれる行為の中にいるとき、
本人も、相手も、とても満たされるのを、体験します。

なぜなら、無私のとき、「わたし」という「我」が、そこに存在せず、
消え去っているからなんですよね。


ゆえに、もともとそこにあった豊かさというか、愛が溢れてくる。


わたしは、「わたし」が消え去るとき、本当に愛があふれてくるのを、
以前にも、何度も体験したことがありましたが、


今朝になってようやく、それがなんだったのかが、
はっきりとしはじめてきた感じです。

 

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